映画史に残る傑作『ママと娼婦』で、
一躍時代の寵児となった
フランスの映画監督、
ジャン・ユスターシュ。
しかし度重なる奇行、自己破壊的な行動が影響してか、その後1本の長編とわずかな中・短編を手がけただけで、1981年、42歳にして拳銃自殺を遂げた。
今年、4Kデジタルリマスターで甦った『ママと娼婦』がパリ、ニューヨークをはじめ各地で上映され、その痛ましいまでの美しさに世界は再び驚愕した。
そしてほとんど彼の作品を観ることができなかったわが国でも、謎に包まれた全貌がついに明らかになる。
「死者を起こすには、
強くノックすること」
そう遺して世を去った“呪われた映像作家”の扉を、いよいよ叩くときが来た。
ジャン・ユスターシュ Jean Eustache
1938年11月30日、仏ジロンド県ペサックの労働者階級一家に生まれる。父は共産党員だった。両親の離婚後、母方の祖母に育てられ、その後ナルボンヌに住む母と暮らし始める。同地で電気工の職業適性証書を取得。57年にパリに出て、フランス国有鉄道の一般工員として働く。シネマテーク・フランセーズに足しげく通う映画狂でもあった。また59年、アルジェリアへの徴兵忌避で手首を切って自殺を試み、短期間精神病棟に送られた。カイエ・デュ・シネマ誌で秘書を務めていた妻ジャネット・ドゥロを介して、あるいはシネマテーク通いをつうじてジャン゠リュック・ゴダール、エリック・ロメール、ジャン・ドゥーシェ、ジャン゠ピエール・レオー、ポール・ヴェッキアリといった映画関係者と知己の仲となりロメールやドゥーシェの短編映画製作に参加。62年にはヴェッキアリの助力で、初監督作にあたる短編『夜会』(未完)を、翌63年に中編『わるい仲間』を発表した。67年にドゥロと離婚した後、交際した女性の一人フランソワーズ・ルブランとの関係に一部基づいた初の長編劇映画監督作『ママと娼婦』(73)で一躍国際的注目を集めるが、続く長編劇映画『ぼくの小さな恋人たち』(74)は興行的に失敗。以後は実験的な短編・中編映画、および記録映画のみを監督。81年5月にギリシャでテラスから落下、脚を骨折。残りの人生を脚が不自由なまま過ごすことになると知り絶望する。同年11月5日、パリの自宅で拳銃自殺を遂げる。
ジャン・ユスターシュ
命がけの映画づくり
山田宏一 (映画評論家)
消極的な憂鬱ではない、積極的な倦怠なのだとジャン・ユスターシュは言うのだ。すべては自らの生きかたを問いつづけ、その緊張感を一瞬たりとも失うことなく、たとえセックスといえども、いや、それは愛の交流なのだから、それこそ生の充実感を求めての弛緩なき営為なのだと自らを追いつめるかのように苦悩する。苦悩こそ青春の特権なのだといわんばかりに。いつまでも愛にこだわり、青春を長びかせるための口実なのか? 饒舌な愚痴、過失と罪業、悔恨と告白、なんとも面倒な誠実さ、真剣さに彩られた万華鏡、果てしなく尽きることのないくりかえしだ。それもまるで自分と同じように苦闘し、悶絶することを強烈に絶対的に迫ってくるのである。
1981年に42歳で拳銃自殺を遂げ、その死にざまを、生涯の最期までを、自伝的に記録するために(究極の明晰の証明か?)ビデオ・カメラを自動回転させたまま設置していたというジャン・ユスターシュだった。映画はすべて自伝的なものであり、虚構はないというのである。命がけの映画づくりだ。
3時間50分もの大作『ママと娼婦』は1973年の、ジャン・ユスターシュ32歳の作品だったが、いまとなっては遺言的な自伝的映画の集大成のようにみなされてもしかたないような気がする。苦悩にみちた切羽詰まった映画だ。
「ここ数年、世界情勢はすべてぼくに向かっていた。中国の文化大革命、フランスでは五月革命…そしてローリング・ストーンズ、長髪、ブラック・パンサー、アンダーグラウンド運動…」とジャン=ピエール・レオー演じる『ママと娼婦』の主人公アレクサンドルはつぶやく。「だが…早くもすべてがむなしい。モードも映画も無気力そのものだ。そして、ぼくには生きる資格がないことに気づいた」。
ジャン・ユスターシュの自伝的主人公に扮するジャン=ピエール・レオーの緊迫感あふれる演技をふくめて、そしてもちろん相手役のママのような女(ベルナデット・ラフォン)も、とくに若い娼婦のような女(フランソワーズ・ルブラン)も、長回しのキャメラに対抗して筆舌に尽くしがたい迫真的なすさまじい演技で、すベての面で画期的な、という以上に「一線を越える」新しい映画と評価された。ジャン=ピエール・レオーとの友情ある関係からいっきょにジャン・ユスターシュは大きな存在になったと思う。フランソワ・トリュフォーからもジャン=リュック・ゴダールからも強力な支持と援助を得て、ジャン・ユスターシュはヌーヴェル・ヴァーグの最後の寵児になったと言っていいだろう。1963年の自主映画(39分の短篇だった)『わるい仲間』からしてすでにすばらしい作品だったが、1966年にジャン=リュック・ゴダール(独立プロアヌーシュカ・フィルムを設立した直後だった)からの資金援助を得て撮られたジャン=ピエール・レオー主演の『サンタクロースの眼は青い』(47分の中篇だった)はさらにすばらしかった。『ママと娼婦』のあと、1974年にはカラー作品で少年時代を描いた長篇『ぼくの小さな恋人たち』(肩の力を抜いて、などと言っては失礼かもしれないが、じつにさりげなく淡々と思い出を綴った自伝的映画の傑作だ)を撮っている。
しかし、ジャン・ユスターシュの映画はそれだけではない。それ以外の作品について私は何も知らないのだ。
公開日 | 地 域 | 劇場名 |
---|---|---|
東 北 | ||
上映終了 | 仙台市 | フォーラム仙台 |
関 東 | ||
上映終了 | 渋谷区 | ヒューマントラストシネマ渋谷 |
上映終了 | 新宿区 | 東京日仏学院 |
上映終了 | 品川区 | 目黒シネマ |
5月21日 | 豊島区 | 新文芸坐 |
上映終了 | 世田谷区 | 下高井戸シネマ |
上映終了 | 横浜市 | 横浜シネマリン |
上映終了 | 柏市 | キネマ旬報シアター |
甲信越静 | ||
上映終了 | 松本市 | 松本CINEMAセレクト |
中部・北陸 | ||
上映終了 | 名古屋市 | ミッドランドスクエア シネマ |
6月1日 | 富山市 | ほとり座 |
関 西 | ||
上映終了 | 大阪市 | シネ・リーブル梅田 |
上映終了 | 大阪市 | シネ・ヌーヴォ |
上映終了 | 京都市 | 京都シネマ |
上映終了 | 京都市 | 出町座 |
上映終了 | 神戸市 | cinema KOBE |
中国・四国 | ||
上映終了 | 広島市 | 横川シネマ |
近日公開 | 松山市 | シネマルナティック |
九州・沖縄 | ||
上映終了 | 福岡市 | KBCシネマ |
上映終了 | 大分市 | シネマ5 |
近日公開 | 那覇市 | 桜坂劇場 |